学園創立125周年記念式典

2022.10.27

学校NEWS校長ブログ

10月26日(水)の6時間目に学園創立125周年記念式典がオンラインで行われました。

創立者の磯江潤先生は、明治30年に「天下の英才を得て之を教育す」という建学の精神のもと、32歳の若さで京華尋常中学校を創立され、その12年後の明治42年に女子教育の重要性を掲げて本校の前身である京華高等女学校を設立しました。(写真は、創立時の高等女学校の木造校舎)

以下、式辞の一部を抜粋

このあと、京華に大きな試練が待ち受けていました。

皆さんは、京華生の合言葉である「ネバーダイ」という言葉は知っていると思いますが、まさに京華学園の歴史を振り返るとこの言葉が生まれた理由がわかると思います。

大正12年9月1日に関東大震災が起こり、男子校と商業のお茶の水校舎は全焼してしまいます。

震災の直後、男子校と商業の焼け跡で呆然と立ち尽くす先生達、生徒たちを前に、磯江先生は「教育は1日たりとも止めてはならない。仮校舎を探してすぐに学校を再開するぞ!」と激励して、9月下旬には、男子校は近くにあった東京物理学校、今の東京理科大学の校舎を借りて、商業学校は火災を免れた女子校の校舎で、授業をスタートしました。そして、震災の3ヶ月後の12月には御茶ノ水に仮設校舎を完成させ、正月以降は仮校舎で授業を始めました。そして、その翌年には、今の白山のキャンパスに鉄筋コンクリート3階建ての新校舎を建て、完全復活を遂げました。

私が38年前に京華の教員になったときは、まだこの校舎でした。

一度は消えてしまった学校が、不屈の精神で蘇った状況は、まさに磯江先生が「ネバーダイ」の精神を、身をもって示したものだと思います。さらに、その8年後の昭和6年12月24日の深夜、女子校校舎1階から漏電によって出火し、大火事になり女子校校舎は半分が燃えてしまいました。

翌朝、半分黒焦げになった女子校校舎の前で、もう3学期はスタートできない…と嘆く人もいましたが、磯江先生をはじめとする先生たち、生徒、保護者が冬休み中に集まって焼け跡の片づけをし、授業に必要なものをみんなで持ち寄って、年明けの1月9日から焼け残った校舎を使って授業を再開しました。教室数は半分になったので、昼と夜で生徒の入替えを行う分散登校での再開です。1日たりとも教育を止めてはならない、まさに、ネバーダイ精神によるものだと思います。

そして、その1年後の1月に完成したのが、皆さんが今過ごしているこの校舎です。

鉄筋コンクリート4階建て、外壁には人工の石を張り付けた洋風の美しいデザイン、中は石の階段、まさに地震にも火事にも負けない強さと美しさを併せ持った新校舎として蘇りました。今から89年前のことです。その後、戦争で残っていた木造部分は焼失しましたが、この本館は今もなお残っています。

皆さんは、この数々の苦難を乗り越えてきたこの学園のこの校舎で、いま、学んでいます。

皆さんには、ぜひ、この京華学園の伝統に誇りを持ち、どんな厳しい状況になっても諦めないネバーダイの精神を受けついでほしいと思います。

11月1日の創立記念日は、京華学園の祝日となりますが、それぞれが学園の歴史を思い起こし、今と将来を考える意義ある一日にしてほしいと思います。

そして、京華学園は、現在、創立125周年記念事業として、男子校と商業がある学園本部キャンパスに女子校の新校舎を建設します。すでに一期工事で新体育館が完成しましたが、あと1年半後の令和6年2月には女子校の新校舎が完成し、4月からは学園3校が1つのキャンパスに集まる「三校ワンキャンパス」がスタートします。

11月1日には、学園ホームページがリニューアルされ、創立125周年記念サイトも公開されます。

三校ワンキャンパスについての記事が掲載されていますので、ぜひ見てくださいね。

式典の後に、マーチングバンド部の関東大会出場に向けた壮行会が行われました。生徒会会長からの挨拶と部員代表の挨拶があり、生徒たちから応援の大きな拍手がありました!

東京都大会を1位で通過したマーチングバンド部は、関東大会でも大いに活躍してくれると期待しています。

最後に…

今年は3年ぶりに三校同時開催の京華祭が行われました。ほとんどの生徒にとって初めての京華祭だったと思いますが、みんな本当によく頑張ってくれました。どんな状況にあっても、できることを工夫して、楽しみながら取り組むことができる皆さんを本当に誇らしく思いました。生徒会の皆さん、実行委員、クラブ、クラス、企画担当、有志のみなさん、先生方、全員に感謝しています。本当にありがとうございました!

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